本が出ます!詩の絵本です。
こんにちは。
百年残る本屋、双子のライオン堂の竹田です。
(名乗る時にキャッチコピーみたいなものがあると印象的で良いかと思って入れてみました)
さて、すでにサイトやSNSでは情報がちらほら出ておりますが、本が出ます!詩の絵本です。
当店でも取り扱いさせていただいております『さびていしょうるの喃語』『町合わせ』などを発表してきた今注目の詩人・多宇加世さんの詩(言葉)から、絵本が生まれました。
絵を担当したのは作家で機械書房の店主でもある岸波龍さんです。本作のために、19のパステル画を描き下ろしました。
何度も何度も繰り返し読んでいただける作品になったのではないかと思います。
編集刊行人であるわたしは「言葉に誘われて行き着く先はいったいどこなのか。大人にも子供にも必要な絵本」だと思って世に出します。言葉と絵に体を精神を委ねてみてください。
今回、装丁を竹田ドッグイヤー名義でわたしが担当しました。どこに行くかわからないそんな好奇心と少しの不安を装丁で表したくタイトルを円で絵を閉じ込めてしまうデザインを提案しました。また、もの感を出したく、当出版部発のコデックス装にも挑戦。絵本って実は耐久性が求められるものなので、作りの繊細なコデックス装にはあまりしないですが、ここは詩の絵本ということで、繊細な手触りを読者に身体的にも伝えられたらと考えています。
そして、本作に寄せて、ライターの宮崎智之さんにメッセージをいただきました。
ひとりの詩人と出会うことは、どういうことなのだろうか。この場合は、何も実際に対面して出会うことのみを言っているのではない。ひとりの詩人の言葉と出会うことは一回性の出来事であり、また実存を揺るがす不可逆な衝撃をもって体験される事件である。
たとえば批評家の小林秀雄は二十三歳の春にアルチュール・ランボオと出会った。小林はそのとき、神田をぶらぶら歩いていた。すると向こうから見知らぬ男がやってきて、小林をいきなり叩きのめした。ある本屋の店頭で、偶然見付けたメルキュウル版の「地獄の季節」の見すぼらしい豆本。この烈しい爆薬が仕掛けられていた豆本は見事に炸裂し、小林は数年の間、ランボオという事件の渦中にあった。(小林秀雄「ランボオⅢ」)
有名な小林とランボオとの出会いの一節からの抜粋である。僕と多宇加世はどのように出会ったのか。そこは神田ではなく、SNSだった。偶然流れてきた投稿から第一詩集『さびていしょうるの喃語』を注文して詩集が届いた。ただし、僕は叩きのめされたのではなかった。多宇加世は、僕を異世界へと引き込んだ。ぬらりとした個体とも液体とも取れない何者かが手招きをし、一寸、躊躇いはしたが、やっぱりついて行ってしまった。
そこは可塑性に満ちた世界だった。優しさと怖ろしさとが矛盾なく同居していた。僕は赤子が語る喃語を思い出していた。それは言葉というより、映像に近いものだった。すべてが断片のようで、すべてが繋がっていた。喃語のごとく繋がっていく言葉たちは、言語以前の映像をかたちづくっていた。純度の高い鮮烈があった。小林の一節を読んでも、ひとりの詩人との出会いを語る文章として大袈裟なものだとは思わない。ひとりの詩人と出会う出来事とは、それほどの事件である。そして、僕もまた詩人と出会った。
そんな多宇加世の詩の世界を、今作『夜にてマフラーを持っていく月が』では岸波龍の絵が、見事に再現している。手招きされてついて行った先で見た映像が、絵という形で定着している。岸波龍は文筆家であり、画家であり、文京区本郷にある本屋「機械書房」の店主であり、そして一流の詩の読者でもある。僕が今作で一番好きな一節である、
痛みを知りながら笑ってほしいと
強くなる
強くなる鼓動
念ずる
念ずる傷跡
遥か遠く届くかもしれない唾液の匂い
という言葉に描かれた絵を見て、僕は驚いた。岸波龍もまた、僕と同じくひとりの詩人と出会ったのだろう。今作に触れ、読者にもそのような体験をしてほしい。今作が読者にとってそういったものになるよう、詩を愛するひとりの人間として切に願っている。
書名:詩の絵本『夜にてマフラーを持っていく月が』
著者:詩・多宇加世、絵・岸波龍
ブックデザイン:竹田ドッグイヤー
発売日:2023年9月30日(一部書店で先行販売あり)
価格:2700円+税
判型:B5判 コデックス装
ページ:48頁
発行元:双子のライオン堂出版部
特設サイト:https://liondo.jp/?page_id=3581
本日はこの辺で。
お読みいただき、ありがとうございます。
またメールします。
双子のライオン堂 店主より
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